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ずるやすみ

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ずるやすみ
ブログ紹介
学生の時は授業さぼってずる休み。
社会人になっても会社さぼってずる休み・・・たまに(笑)
普段の休日よりよっぽど充実していたように思う。

休日が不定期な仕事を持つ今
たまの休みや空いた時間がはいると・・・
ずる休みしているように思えてくる。
気が小さいのかもしれない。
ただ甘美であることには間違いない。

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『片貝まつり(新潟県小千谷市)』

2006/09/22 23:14
画像毎年のように訪れている片貝だが、9月9・10日の花火観覧が主だったため前日8日の片貝祭りはこれまで未観覧だった。人づてに屋台の巡行は8日と聞き、今年は8日片貝訪問を早々に予定した。片貝で屋台が四十数年ぶりに新調・再興されたと聞いたのは2年ほど前のことだったと思う。それ以後友人からの写真で屋台の姿は知っていたが実物、特に曳き回されている屋台の姿はこれまで観たことが無かった。いつかは是非片貝の街を曳き回される屋台を観覧したいと思い続けていた。これまで各地の屋台・曳山等を観覧してきたが、やはり屋台は曳き回されてこそ本来の姿だと思っている。画像街の中に据え置かれた屋台もそれなりの存在感を持ち興味あるところだが、屋台が街に溶け込み躍動感を放つのは曳き回され巡行されている時だと常日頃思っている。
 8日昼過ぎに小千谷着。屋台の引き出しが15時30分からと聞いていたのでそれまでの時間を小千谷市立図書館を訪れることにした。新潟県、特に中越地区の山車・屋台の資料と、この地方に伝承されている「巫女爺」に関する資料を探す為である。残念ながら山車、屋台の資料は見つけ出すことは出来なかったが、「巫女爺」に関するものは数冊閲覧することが出来た。画像この「巫女爺」、中越地方に伝承されている郷土芸能であるが、これまで私は実際の公演を観覧したことはなかった。新潟の山車・屋台に関する書籍・資料を漁っていると、上演される踊りの一つに「巫女爺」の記述が頻繁にでてくるのだが実物はお目にかかっていない。写真や記述の内容で多少は想像することができたが、様式やら特徴、ましてや何時ごろ何処から伝承され現状はどうなのか等はまったく判らずじまいになっていた。人づてに「長岡の屋台で上演されていた」と聞いたり、「小千谷にも残っている」と聞かされたり、断片的な情報は伝わって来たが「本当はどうなのよ?」状態であった。画像ただ今回の図書館での閲覧で「巫女爺」は越後、特に中越地方に伝わる「郷土民俗伝統芸能」であり各地に保存会が存在し、形式に若干の差異はあるものの、中越地方11地区で存続し今でも演じられていることなどを知った。数時間の図書館での滞在であったが成果ありと気を良くし片貝に向った。
 8日の片貝は9・10日の賑わいを前にしながらの静かなたたずまいであった。それでも紅白幕を張り巡らせる人を見かけたり、軒先の提灯を準備する家があったりと、其処かしこに祭りを前にしたあわただしさも感じられた。画像明日は人込みであふれる浅原神社前を進みしばらくすると、微かに囃子の音色が聞こえてきた。とうとう待ちに待った屋台と御対面である。
引き出し時間より少し早めにと思い到着したのだが、もう屋台の周りは曳き手の子供達が大勢集まり屋台の上では演目が始まっているようだった。さっそく屋台に近づいてみると・・・・・!!何と演目は写真でしか観たことが無かった「巫女爺」の上演の真っ最中!オイオイ聞いていないよ「巫女爺」上演なんて。と後は食い入るように観覧する。屋台向かって左にジサと呼ばれる爺人形が座り大きな手振りで踊っている画像(手は踊り手がジサの後方より操作)、頭も別の踊り手の操作で囃子に合わせて器用に動いている。全体的に滑稽な雰囲気を醸し出している。右にはアネサと呼ばれる巫女人形が立っている。顔は細面で烏帽子を載せている。アネサはジサに比べ大きな動きは無く、手を上下したり体の向きを変えるぐらいである。上演終了間際だったため4〜5分程の観覧であったが、ここ数年来の観覧希望がかなえられた瞬間でもあった。「巫女爺」公演が判っていればもっと早めに到着してしていたのにと悔やんでみたが、短時間ながらも実物を観れたことだけでもラッキーと思わなければならない。この片貝の「巫女爺」は江戸末期に小千谷横町から当時の片貝村に伝承されたと言われている。画像その後奉納演芸として村民に親しまれてきたようだが、1970年初頭に操り手の高齢化により衰退、以後30年間は演じられることもなかったと言う。しかしそれ以降1990年に片貝伝統芸能保存会の結成により片貝「巫女爺」が復活、「しゃぎり囃子」と江戸木遣りの流れを汲む「片貝木遣り」と共に保存継承されるようになったようだ。一度衰退した「巫女爺」を復活させるためには、私などには想像もつかないご苦労があったようだが、後述する屋台の再興事業などを知るにつけ、そうした片貝の方たちの伝統文化に対する熱意に頭が下がる思いでもあった。
 画像さて肝心の屋台であるがこれも立派なものであった。形は6本柱の踊り屋台。唐破風造りの屋根を乗せ、欅作りの車体に4輪の車輪を取り付けてある。後ろには大型の車輪、前は小型の車輪で左右に向きを変え舵の役割も果たしている。屋台は上下2層に別れていて下層に囃子方をのせる空間があり、上層舞台周りには擬宝珠高欄を廻らした踊り舞台となっている。彫刻は未だ完成途上にあり、全てはめ込まれていない様だが懸魚に亀と波の彫刻をはめるなど豪華なものになっている。一層目には御簾代わりの牡丹と蝶の柄を染め抜いた藍染の薄布がたらしてあり華やいだしつらえになっている。画像運良くこの屋台を製作された方からお話を聞くことが出来たが、躯体すべては片貝の大工さんの手になるものと聞いた。金具は小千谷市内の職人に依頼、彫刻・車輪は岐阜県と新潟県村上市の職人の手になるものとお聞きした。昔存在した屋台の図面がなく写真を見ながらの図面製作だったようである。片貝は職人の街と聞いているが、その力を総結集しての屋台製作だったようである。画像この屋台を製作するに当たっては「片貝祭屋台再興委員会」なる組織が作られたそうである。昔から祭りの中心となって曳き回された屋台の再興には片貝町民の強い期待があったのだろう。
 予定時間を過ぎた頃屋台は出発した。浅原神社の方角から曳き出しに合わせる様に花火の音が聞こえて来る。昔の屋台は行きは長岡の芸者衆、帰りは「巫女爺」を乗せての巡行だったそうである。画像途中、シャギリと朗々とした木遣りを謡いながらの巡行である。片貝の様々な柄の半纏を羽織った子供たちが先頭になって曳きまわる。途中休憩を挟みながらも各所で祝い舞やら片貝大花火音頭の披露がある。毎年見慣れている片貝の街並みが屋台の巡行と共に祭りの華やかさを増していった。9・10日には見ることの出来ない片貝の別の顔がそこにあった。


(画像右下「牡丹と蝶の布幕」は友人のなかまささんより提供(2004年撮影)いただきました。深謝!)

参考資料
「巫女爺浪漫」 黒崎剛 編 2004
「片貝木遣歌考」 片貝伝統芸能保存会 編 1997
「新潟県の山車」(新潟県文化財調査年報24) 新潟県教育委員会 1987


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『熊野大花火(三重県熊野市)』

2006/09/19 23:26
8月22日熊野大花火を観覧。通常年だと17日開催だが荒天の為22日に延期となった。私の夏の花火観覧予定には当初エントリーされていなかったが、20日の四日市花火大会を予定していた為、22日延期を聞き、それならと併せて熊野も観覧ということになった。17日を楽しみにしていた方には申し訳ないが私にとってはラッキーな日程となった。熊野は以前一度観覧したことがあった。その時は電車利用であったが、かなりの混雑を経験し、また熊野を毎年観覧されている方々からは観覧場所やら駐車場等の確保も含め例年混雑の厳しさを伝え聞いていた。人口2万人強の熊野市に突然10数万人あまりの観覧客が集まるのだから当然と言えば当然であり、順延日といえども行くならそれなりの覚悟が必要と思っていた。そんな気持ちの焦りと不安もあってか熊野市に到着したのは前日21日の22時。(早すぎ!と言われればその通りなんですが四日市花火大会観覧後、特に予定も無かったので念の為の早着(^^;)前日現地着なんて大曲の花火以来のことである(笑)。画像ただ打ち上げ当日の22日になると、順延日であったことと、夕方に雨が降ったことなどにより、観客数はかなり少なく思いのほかゆったりした中での観覧となった。また花火が始まるまでの日中、友人のOさんや地元のTさんのご案内もあったことで気持ち的にも当初の焦りやら不安も消え、とても楽しい熊野の一日となった。深謝!
 熊野大花火は今でこそ観光花火大会として全国的に有名な大会になっているが、歴史的には初精霊供養の花火打ち上げから始まったとされている。画像今でもプログラム開始直後に行われる「燈籠焼き」や、追善供養のための打ち上げが「追善大仕掛」とされプログラムに組み込まれている。なかでも新盆の御家庭から集められた燈籠を浜辺の中央で張物花火の落火にかざす燈籠焼は特に印象的であり、それを見つめながら手を合わす地元の方達をみると、部外者である私も居住まいを正さずには居られない厳粛さを感じた。前回観覧したときは観覧場所が浜辺から遠かった為、「燈籠焼き」を遠目に観るだけであったが今回間近で観覧することで一層印象的なシーンとなった。花火に込めた宗教的な行事は一端ながらもこれまでに各地で見聞することがあった。形も様々で、花火の火の粉を浴びることにより身を清める意味合いを持たせたり、花火を天高く打ち上げることにより物故者との距離をいっそう近いものにし追善供養とする行事などがある。これまで熊野の「燈籠焼き」のような行事は他地域では見聞したこともなく、花火を介して仏(あるいは神)との結びつきを表現する熊野独特の風習がそこに存在し今も伝承されていることに興味をもった。画像そんなことを考えていると、プログラム最後の「鬼ヶ城大仕掛」の大音響とあまりの激しさも、神との結びつきの中での依代の一つかな?などと勝手に思いを巡らせ興味は果てない。熊野大花火の日程が8月17日に行われることも盂蘭盆最終日近くということで意味を持ってくるとも聞いた。大花火前日16日にも七里御浜海岸で他地域の方たちによる花火が打ちあがるそうである。
私は熊野地方に関しての知識はまったくと言っていいくらい持ち合わせていなかった。知っていることと言えば「世界文化遺産登録」「那智の滝」「歴代の上皇がよく行ったらしいぞ?」「風光明媚」「魚が美味い」。。。「火の国」・・・・・と並べてみるとだんだん怪しくなってくる。熊野古道のなんたるかも「??」であるのでまったくお話にならない。このブログを書くにあたり、熊野を検索してみると「熊野学」なるものもあるようだ。画像又、歴史上の多くの出来事が熊野に由来し、進行していった時期もあるそうだ。関東からだと熊野は地理的にもかなり遠いと思っていたが、私の頭の中身も熊野に関してはまったく遠くお恥かしい限りであった。ただ今回の観覧やら知人からの話で少しは身近に熊野を感じるようになったことは私にとってこの夏の大きな収穫もしれない。
 
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『茅野納涼花火大会(長野県茅野市)』

2006/09/13 03:59
画像8月13日茅野市の花火を観覧する。終了間際に大粒のにわか雨にやられる。この夏は比較的天候に恵まれた花火観覧が多かったが、とうとう捕まってしまった。それまで風は多少あるものの穏やかな夕暮れを迎えていた。花火を見上げる顔にポツッ・ポツッと冷たいものが落ちてくる。「何とか最後までもってくれよ〜」と願うが次第に雨音を立て始め・・・もういけません。傘やら雨具を取り出す慌しさの目線の中に「群蝶」が飛び込んでくる。画像「あら〜〜」観覧者一同のため息が聞こえてきそうな一瞬であった。さてこれからと言う所での雨、相手がお天気様ですから文句を言っても始まらない。後は天空に放たれる大輪を傘越しに観覧し終了となった。毎年のように訪れている茅野の花火大会だがこんな幕切れは初めてかもしれない。それでも茅野ならではの真円で温かみのある花火は、雨の冷たさとは裏腹に、穏やかな余韻を与えてくれた。画像観覧後、近所の原村の小高い山の上で観覧していた両親達と合流する。雨にやられたことを言うと怪訝な表情。原村では降雨はまったく無かったと聞き、一層残念に思う。「まあいいか〜田村さんの花火はこの夏まだお目にかかる予定もあるし・・・」自分を慰め帰路についた。

花火打上開始19時30分 最大10号 (有)太陽堂田村煙火店(長野県茅野市)
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『神明の花火(山梨県市川三郷町)』

2006/09/05 04:36
画像8月7日山梨県市川三郷町の「神明の花火」へ行く。昨年までは市川大門町であったが町村合併により市川三郷町となった。日程は毎年固定されていて8月7日「花火の日」である。この「花火の日」は8と7から命名されたようだが、これって全国区の名称ですか(笑)?はじめて「神明の花火」を観覧したとき8月7日が「花火の日」と聞かされ、画像一人素直に納得していたが他所ではあまり聞かない。どうでもいいことではあるが本当はどうなの?と今でも思っている。ただ毎年8月7日になると「花火の日」を思い出し恒例のように「神明の花火」を観覧している(笑)。この花火大会のプログラムはここ数年ほとんど変わっていないが充分楽しめる構成となっている。途中に競技花火として地元煙火業者5社のによるスターマインが打ちあがる。以前は愛知県の業者も参加していたようだがここ数年は顔ぶれが固定されている。画像プログラムには打ち上げ業者の名称は無くタイトルだけであるが、どの業者の打ち上げであるか推測するのも楽しい。(5社だけですから比較的まよわず推測できる)前後に割り物花火も単発で上がるがほとんどがワイドを含めたスターマインのプログラム。中でも単発打ちも含めた、スターマインのなかでも打ちあがる2尺玉がこの大会の見どころの一つとなっている。この日も計6発の2尺が打ち上げられた。製造業者は発表されていない為推測するしかないが、ここで打ち上げられる2尺は毎年逸品ぞろい。画像昨年は雨と煙の中の観覧であったためストレスが溜まったが今年は絶好の天気と風向き。本当に2尺の美しさを堪能することが出来た。形の良い2尺には「これぞ花火」の風格が漂い、観るものを圧倒する。これだから8月7日は神明に足が向いてしまう(笑)。
観覧場所もユルユルとは言えないまでも、観覧場所確保でアクセク苦労することも無い。河川敷に降りる土手の傾斜はかなりきついが、充分に堤防道路で観覧できるスペースがある。駐車場もちょっと会場から距離をおけば遅い到着でも公式パーキングに駐車できる。画像何度も繰り返すがゆっくり観覧できる花火大会は自分の中でもランクが上がるのは否定できない。歳?ですかね(笑)
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『ふくろい遠州の花火(静岡県袋井市)』

2006/08/25 04:34
画像8月5日「ふくろい遠州の花火」へ行く。5日は夏の花火シーズンの中でももっとも激戦日といわれるほど、全国各地でその地区の代表的な花火大会が行われる日である。花火ファンとしては大いに悩み、もだえ苦しむ1日にあたる。私の場合も2〜3候補はあったものの比較的すんなり袋井に落ち着く。昨年の袋井観覧時の自分としての好評価が頭に焼き付いていたこともあったが、今夏お目当ての紅屋青木煙火店のワイドスターマインが私の花火スケジュールではここ袋井でしか観覧できないと知ったことによる。青木煙火店のスターマインは持ち玉のよさもさることながらここ数年のデジタル方式の打ち上げにも他の追従を許さないものが感じられる。またその花火のテーマを表現することにおいては秀逸で毎度毎度「恐れ入りました」の一言しか出てこない花火業者さんである。初めての「恐れ入りました」は2002年の土浦全国花火競技会でのスターマイン「日本の風景」。各社音楽をバックにしながらの打ち上げであったが、音楽なしのスターマイン。たおやかに桜のイメージを表現しながら日本の情景を表現しつくしていたのがいまだに忘れることができない。その後音楽とのコラボがデジタルを介して全盛となっていくが、青木煙火店のスターマインは見るたびごとに私の中で好印象が残っていった。単に音楽と合わせるだけではなく、いかにそのテーマを表現しつくすか、毎回「恐れ入りました」の連続といってもよい。画像
朝早く自宅を出たものの東名高速は渋滞しまくり(厚木先頭に25Kの渋滞。いつもなら引き返す)駐車を予定していた愛野駅に到着したのは16時に近くなってから。駐車場はなんとかなるとは思っていたのは大いに甘く、相当な時間をかけて探す羽目になってしまった。昨年から予期していたことだが愛野駅周辺は宅地化が進み昨年のような広大な開きスペースは激減。したがってその日限りの有料臨時駐車場も激減。なんとか奥のほうに駐車することができたが来年はますます厳しくなる予感である。大会の座席は今年も有料席を購入していたが、仮設桟敷に並べられた椅子席になったと言うことでスペース的に三脚を立てられるかの不安があった。今回はビデオ持参の為、桟敷席の最後部の空きスペースに何とか立てることができたが、スチール写真を撮る場合は仮設の桟敷の為、振動等考えると無理なロケーションかもしれない。
会場に到着し友人との歓談後、しばらくするとプログラムが開始された。まだ薄闇と言ってよい大空に打ちあがる花火が期待感をあおる(個人的に薄闇花火が結構好きです、笑)。この袋井の花火、プログラムが本当に良く考えられていると思う。画像暫くスターマインが続くと創作花火のコンクール。5号と言えどもテンポの良さに飽きることが無い。実力煙火店のスタマの後は8号玉の連打と来る。仕掛け花火があったかと思うとその裏打ちに秀逸なスターマインが上がる。おいおい何処で弁当食えって言うんだ!(笑)あっという間に1部の終盤でこの大会のハイライト磯谷煙火のメロディスターマインと突き進む。今日のメロスタの曲目はJ・シュトラウス親子のラデッキー行進曲と美しき青きドナウ、ロッシーニのスイス軍の行進。スイス軍の行進では運動会の勇ましさとは裏腹に磯谷煙火の持ち玉「光の宝石」が次々に打ちあがり華麗な空間を創る。私は天空を見上げ、口を開いての恍惚状態におちいる(素晴らしい持ち玉を持っている所はすごいです)。2部に入ると日本を代表するような花火業者の8号割り物とスターマインが「全国花火名人選抜競技」と言う形で披露される。ここでの割物は多重芯と言えども、多くの八重芯が登場する。多重芯というと三重・四重・五重等あるが私個人的には形の良い八重芯が好きである。なんてったって三重丸だから判りやすいし(笑)天空に開いた時の開放感がたまらなく好きである。このパートではお目当て青木煙火店のスターマインも上がる。「麗しき日本の夏」と名づけられたスターマインは夏の夜空を象徴するように見事に開いていく。打ち上げ方の工夫もあるのだが、勢いに任せずに一輪一輪の花火を見やすく打ち上げる為、印象良く説得力も倍増するように思われる。またもや「恐れ入りました」である(笑)。フィナーレはお決まりの「霊峰富士」とその後に続く青木煙火店のワイドスターマイン。この二つのパートは完全に最後のハイライトとして完成されているように思える。画像二重富士の上空で白銀のナイアガラ連打は雄雄しさを醸し出す。霊峰と名づけられ、裾野を広く取った二重富士は日本人が見慣れた富士山に更なる神々の気高さを映し出す。そこで間髪入れずの(今年はかなりの時間がかかりましたが)怒涛のワイドスターマインの展開。デジタル技術の真骨頂ながらも、連続する小花の一つ一つが気品を持つ。留めに放たれる真円の大玉の銘花、青芯を中心に、これでもかと言うように開花していく。観ている私は唖然の連続。打ち終わった時には「恐れ入りました」を何回か口の中でつぶやいていました。そう、声もでなかったということです(笑)
この大会も聞くところによると、積年の中では紆余曲折があったと聞く。主催者もここまでのプログラムにするまではご苦労も多かったに違いない。初めて袋井のプログラムを友人から見せてもらった時、関係諸団体、事業所の協賛金の額に驚いたことがある。最初、慣例からくる御祝儀書きでの倍付け表示かともおもったほどである。実額表示だとわかった時、この地区の方たちのこの大会に対する思い入れのようなものを感じた。決して金銭でその大会に対する貢献度が計れるわけではないが、心意気だけは感じ取れる。これからも末永く良質な大会を開催していただけたら思っている。

今回の掲載写真はこのブログの御常連、菊姫様からの特別提供です。深謝!
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『館山地区合同祭礼(千葉県館山市)』

2006/08/24 22:56
画像8月2日千葉県館山市の館山地区の祭礼に行く。1日2日の両日行われる館山13地区8社の合同祭典である。2日に山車の巡行が観られると聞いて居た為、昼早いうちからの観覧を予定していたが仕事の都合で15時過ぎからの観覧となった。この祭りには各地区から7基の神輿、4台の江戸型人形山車、2台のお舟型山車が参加する。到着が遅かった為、画像山車・お舟が集結する予定の館山神社に直接向かう。城山公園駐車場に車を駐車後、館山神社参拝後街中に向かう。ちょうど山車とお舟が神社に向かって巡行する時間であったため次から次へと山車お舟を観覧することが出来た。4台の山車は2層の台の上に人形を乗せる形になっており(巡行中はいずれの山車も人形を下ろしている)前部分が囃子舞台になっている。思っていたより大型の山車であり、山車の各部分には重厚感あふれる彫刻の数々が埋め込まれている。彫刻は南房総地区では画像多く流布する千倉後藤系のものとお聞きしたが、私に鑑賞眼がないためただ凝視するのみである(笑)。山車と共に曳きまわされている舟形の山車も紅色に彩色され、これも豪華なものである。各地の祭りで船形の山車巡行を観覧してきたが館山の巡行はとにかく威勢が良い。山車の巡行も同様であるが、号令がかかると全速力で走る走る!大人も子供も皆走る(当然歩いて曳く場面もあるわけですが…)。特に曳き手が男子若者で構成されている山車では、半裸に赤のタオル鉢巻で掛け声と共に巡行する。荒々しいと言えばそれまでであるが、きちんとした規律の基での巡行であるから観ていても気持ちが良い。画像こんな荒々しさも黒潮に揉まれて来た海辺館山のたくましい気性かもしれない。日が沈みかける頃、館山神社境内に4台の山車とお舟山車が入祭し年番渡しがおこなわれる。4台の山車にはそれぞれの人形が据えられ提灯に火が入る。祭のクライマックスと言うべき一時を迎える。行事の際の一瞬の静寂の後、全ての山車から再び囃子が沸き起こる。画像祭りの最後を惜しむような激しい囃子の音と若者達の掛け声を背に帰路についた。
今回は都合により午後遅くからの観覧であったが、次回は朝一番から観覧し新井海岸での山車の勢揃いなども観覧したいと思う。
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『水郷おみがわ花火大会(千葉県香取市)』

2006/08/19 03:49
画像8月1日おみがわ花火大会を観覧。今年、市町村合併により香取市となったが、旧小見川町の花火大会がそのまま継続されての開催。明治41年からの開催で今年で110回というから歴史有る大会でもある。画像この地域の象徴でもある利根川に台船を係留しての打ち上げである。この大会の見所は「全国尺玉コンクール」と銘打っての、全国30名の花火師による10号玉30発が観れることである。北総地域でも夏場は多の花火大会が開催されるが、30発もの銘花が見られるのはこの大会ぐらい。また観覧場所も激混みということもなく利根川沿いの堤防道路は17時頃到着でも十分観覧席を確保できる。画像堤防道路の際にそれぞれのグループがシートや簡易テーブルを広げ思い思いの宴を始めている。とにかくのんびりと花火が観れるわけです(笑)
始まる30分ぐらい前にトイレも兼ねて仮設トイレがある河川敷に降りてみると、川沿いの縁の空きスペースには三脚の列がズラーと並んでいる。プログラム中数回に渡って投げ込まれる水中花火を狙うカメラの放列とすぐに納得。そういえば大会のポスターには、毎年のように小見川大橋をからめた水中花火が大きく取り上げられている。画像私的には尺玉30発が魅力だが水中花火狙いの方もいておかしくない。むしろ見所は水中花火かもしれないと自分の独りよがりに可笑しくなる。昨年はプログラム中盤より何処からとも無く湧き上がる霧に邪魔されたが今年はまずまずの観覧条件。途中煙の滞留があったが目的の尺玉は充分楽しむことができた。帰路もストレスなしに駐車場を脱出。花火大会の混雑度を考え、こんな大会ばかりだったらとしきりに思う(笑)

19時00分花火打上 最大10号 国際煙火(株)(千葉県香取市)
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『大洗海上花火大会(茨城県大洗町)』

2006/08/05 03:41
7月30日大洗の花火を観覧する。本来は29日の予定であったが天候の悪化を予測して30日に順延になった。一度は観覧してみたい大会であったためラッキ〜♪である。29日(7月最終土曜日)は毎年どういうわけか仕事が立て込み、花火観覧は夢のまた夢。大洗も幻の大会であっただけに、迷わず他所の予定を変更し大洗に向かった。大洗到着後、友人と合流し観覧場所を探すが…風向きはメイン会場のサンビーチ海岸に向かってふいている。逆風!それも適度な逆風(?)どころではない。画像吹き込むと言う表現が適切なほどの風が吹き、砂埃が浜辺を走っている。シルクロードの砂嵐じゃあるまいし、こんなところじゃ花火撮影は無理!打ち上げ場所が堤防先端の為、風上と言えば…海の中(笑)まあ玉が横に流れるのもしょうがないということで、リゾートアウトレットの前あたりでの観覧となった。
画像今日の打ち上げは野村花火工業ということで、やはりお目当ては多重芯。できたら昨年末の那珂川で観た水戸玉。プログラムをみても三重、四重、五重が散りばめられており期待は高まる。最初から三重、四重があたりまえのように打ちあがる。何回か観覧している玉であるが眼前に広がるとやはり「うぉーーー」である。そして同心円に開く花火は見事な美しさをかもしだす。だだ人間って本当に贅沢にできている動物で、強い風に流されると「なんだよ!」なんて心の中で舌打ちする。ったく、花火だって流されたくて泳いでいるわけじゃない。画像風が強いんだからしょうがない。判っているけどもったいない。最後に打ちあがった2尺は風が連れてきた霧に邪魔されたが、冠の引きは言うことなし。観覧場所が遠かったり、風は吹くはで、多くのハンディはあった大会だが予想通りの野村ワールド、満足して家路につくことができた。今夏もう一度ぐらい茨城・野村ワールドを味わってみたい。

花火打上19時30分 最大20号 野村花火工業(株)(茨城県水戸市)

追記8月31日
今日放送されたNHK「プロフェッショナルー仕事の流儀ー」で野村花火工業(株)の野村陽一氏登場。この大洗海上花火大会で社内3名による大曲出品にむけた五重芯の選考をしたという。このブログの写真も3発の五重芯に入れ替えてみた。並べて拡大してみるが、凡人には知ることが出来ない領域と悟る(笑)それにしても野村氏の花火制作にかける姿勢は壮絶ともいえる。やはり本物の美は、ある一線を超えないと姿が見えてこないのかもしれない。
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『第40回葛飾納涼花火大会(東京都葛飾区)』

2006/08/01 05:41
画像7月25日葛飾の花火を観覧する。仕事終了後、葛飾へ向かう。金町駅で下車。そのまま本会場の対岸である松戸側にまわる為に江戸川を渡る。風向きのこともあったが、松戸側は葛飾側より幾分すいていると聞いたからである。途中、和菓子屋の前を通りかかり「みたらし団子」と「磯辺焼き」を購入。菓子屋の御主人と景気の話などなど。画像花火の日は一年のなかでも高い売上が見込める一日とのこと。やはり花火大会は地元に還元する大きなイベントなんだと一人納得。松戸側の橋の袂でこのブログの御常連菊姫様と合流。簡単なロケハン(ちょっと指を立てて風向きを見るぐらいのものでチャッチャと終わらす)後、団子と磯辺焼きを前に世間話に興じる。人出もそんなに多くなく(葛飾側は多くの人出がみてとれました)のんびりとした夕方のひととき。画像
まだ日が残る薄闇の頃より花火打ち上げ開始。玉の大きさは4号までと言いながらも近くで開く花火の立派なこと!又全体的にリズミカルな流れと担当業者独特の色使いに満足。花火の玉種もバリエーションがあり飽きることはなし。画像又来年も訪れたい大会になりました。きっと「みたらし団子」と「磯辺焼き」は必携になっているでしょう(笑)。

19時20分花火打上開始、最大4号、(株)イケブン(静岡県藤枝市)
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『日吉神社連合祭典(千葉県東金市)』

2006/08/01 04:48
画像7月22日千葉県東金市で行われた「日吉神社連合祭典」を観覧する。仕事を早めに切り上げて東金市へ向かう。この祭典2年ごとの開催であるが、楽しみにしていた2年前は事情により開催していない。4年前に観覧はしていたが時間的に短時間であった為記憶が鮮明でない。今年は開催されるかどうかとやきもきしていたが7月に入ると友人より開催決定の連絡が入り一安心。画像この祭典は日吉神社の氏子9地区の連合によるものであり、9台の山車、屋形が巡行する。22日23日と開催され22日の夜宮入りする。本来ならば2日にわたって観覧したいところだが今回は22日の宮入までを観覧する。この祭りの特色は保存会で演奏される「東金ばやし」があり聞くのを楽しみにしていた。以前このブログでも書いたことだが、「東金ばやし」は長唄の影響を受け、それまであった囃子を長唄調に編曲している独特のものである。三味線と鼓の入った曲調はあるときはシットリと、あるときは曳き手を励ますように飛び跳ねるように演奏される。画像北総地域でよく耳にする「佐原囃子」もお気に入りであるが、この「東金ばやし」も飽きる事無く聞いていられる。又、屋台(地元の方はその形を東金形と言っている)の巡行においては、他地区に入る時の「花向け」や、屋台どうしが曳き分かれる時に行われる動作に印象的なものがある。屋台の4輪ある車輪の前方を持ち上げ上下にゆするのである。(上手く説明できないが写真をみていただければ一目瞭然!)画像また気合が入ればそのままグルグルと廻ることもあり、我々観客に見せ場をつくってくれる。また前輪を持ち上げたまま2輪だけで進行することもめずらしくはない。まったくの強力の世界である。まさに曳き手は歯を食いしばっての力比べでもある。各屋台の脇には肩を入れる為の張り出した木が据えられている。方向転換の為に前輪を持ち上げる様は他の山車祭りでも見かけるが、それを前後に激しく揺するのは東金だけか。画像花向け時の礼をこめた挨拶の後に始まるこの屋台の激しい動作は、挨拶が厳粛さを醸し出しているだけに、対比すると可笑しくもある。
日が落ちると各屋台の提灯に灯が灯る。花火の打ち上げと共に宮入りする屋台の列は荘厳なものがあった。画像
この「日吉神社連合祭典」、手元に詳しい資料も無く自分自身分からないことが多い。機会あれば氏子の方からお話を聞きたいと思っている。その時は追記したい。
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『須坂祇園祭と花火の夕べ(長野県須坂市)』

2006/08/01 02:31
画像7月21日「須坂祇園祭」を観覧のため長野県須坂市に向かう。数日来の梅雨前線による集中豪雨のため途中渡った千曲川の河川敷は土色をした濁流に飲み込まれていた。天候も芳しいものではなく、長野県内に入ると曇天の空より雨が落ちてきた。今日のお目当ては祇園祭の初日「天王下げ」に引き出される笠鉾の巡行。朝8時に神事が始まるというので、気合を入れて早朝出発してきただけに雨天濃厚の気配はかなり気をそがれる。画像「もしかすると・・・中止」と思いつつ・・「中止」の2文字を打ち消すように笠鉾が引き出される須坂市の「笠鉾会館(ドリームホール)」に到着。着くやいなや、会館の方に笠鉾巡行をお聞きするがやっぱり中止のこと。会館の方も残念な御様子。この10年来中止になったことは無かったらしい。遠路来た事を話すと開館前ではあったが中に所蔵展示されている笠鉾と屋台の見学を許可される。本当は街中を巡行される笠鉾を観覧したかったがこんな天候では仕方が無い。会館の方たちの御好意に感謝しつつ見学させていただく。画像
須坂には11基の笠鉾と4台の踊り屋台がある。笠鉾と呼ばれるものは京都の祇園祭で引き出される笠鉾をはじめ各地に点在しているが、須坂地域に存在する笠鉾は独特の形をしている。上下2段に帽額(もこう)と呼ばれる幕が傘の下に引き回されている。帽額にはその笠鉾それぞれの模様や刺繍が入って豪華なものになっている。笠鉾の頂点には依代(よりしろ)とよばれる人形や神事の飾り物が据えられている。依代には本来神霊が宿るといわれており、祇園会に笠鉾を巡行することにより、山王様の警護と同時に疫神を依代に集める意味があるようだ。画像これまで写真でしか見たことの無い須坂の笠鉾だが、実際展示されている笠鉾を観覧し、細部を見ると豪華でありながら、全体的には繊細でシンプルな印象をうけた。ゴタゴタとした飾り物の無い美しさが笠鉾にはあった。降雨の為の会館内での見学となったが、晴天の下、曳き出される笠鉾は格段の美しさに違いないと思った。ちょうど館内の展示物を見終わった頃、係りの方の御配慮で須坂の祭の3D映像を見せていただく。他の観覧者が居ない中のわざわざの映写に感謝であった。又会館を退出する間際、会館の方より天王下げの神輿が墨坂神社より出るという情報をいただき小雨の中神社に向かう。画像笠鉾の巡行は中止になっても、御旅所に向かう神輿の渡御は小雨の中でも決行である。確かに神輿の渡御がなければ「天王下げ」にならないし、4日後の「天王上げ」もできないわけか?(笑)馬鹿な考えがふとよぎる(^^;
須坂ではもう一つぜひ見たいものがあった。それは田中本家博物館に所蔵されている3代目原舟月作と言われている人形である。田中家は江戸中期より北信濃で随一と呼ばれた豪商である。その田中家が原舟月に特注して人形を作らせ、その人形がまだ保存状態も良く所蔵されていると聞いていた。画像原舟月と言えば山車人形作家として有名であり、私も各地の山車祭で見かけている。かなり以前に栃木市の祭で出会った「天照大神」人形が原舟月作との最初の出会いであり、その人形の端麗な姿は今でも目に強く焼きついている。それ以降各地の祭で原舟月作に出会っているが、そのたびに強い印象を受けている。ただこれまでに原舟月の本業(?)であるとされる雛人形は一度もみたことがなかった。楽しみにして田中本家博物館を訪れたが・・・「舟月の人形は所蔵しておりますが今は公開していません」と係りの方より申し訳無さそうに告げられる。画像毎年の企画展のみの公開で今年は春の「田中本家のひな祭り」展で公開されたという。私がかなり残念そうな顔をしていたのであろう。係りの方は一枚のパンフの写真を取り出してくれた。感謝!。良く見ると私が想像していた雛人形ではない。「若殿様子供行列」と題された5体一組の可愛く微笑ましい人形であった。・・・是非みたい!来春には又同様の企画展があるという。それまでのお楽しみである。画像
同日、須坂より神奈川県逗子市の花火大会に向かう。花火開始直前到着であったが観覧することができた。心のこもった打ち上げに感動する。最後煙にやられたが、気合充分で帰宅。
(掲載花火写真はすべて須坂のものです。逗子の写真はありません)

7月23日の「蔵の町 須坂花火の夕べ」を観覧する。午後遅くの到着であったが、友人が観覧場所を確保していてくれた。感謝!始ってまもなくすると、ポツポツと雨が当たってくる。今年の須坂は天候に泣かされると思いつつ、花火を観覧する。一つ一つ丁寧に打ち上げられていく。色を重ねて打ち上げることも無く清廉な花火がつづいていく。各地の花火大会を観覧すると、その街の表情を表す花火大会に出会うことがたまにある。画像須坂の花火大会(じゃない!「花火の夕べ」)もその一つかもしれない。担当する煙火店のみならず、その花火を見上げる観客のなかにも須坂の美意識のようなものが横たわっているように思える。それは永年にわたって街を引き回されてきた笠鉾のシンプルでありながら存在感ある美しさと共通するのかもしれない。画像途中で打ち上げられる蝶や向日葵の花を見ていると、花火の中に「依代」を感じさせられる。思い込みすぎかもしれないが、それもあながち間違いではないと一人勝手に考える。
今日は須坂の祇園祭なのだから・・・。

参考資料
「須坂市文化財調査報告書第7集」(須坂市教育委員会平成3年)
「須坂の祇園祭リ 笠鉾」(須坂市文化振興事業団平成10年)

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『六日町まつり大煙火大会(新潟県南魚沼市)』

2006/07/22 04:42
画像7月19日新潟県六日町で花火の観覧。仕事を早めに切り上げ関越道を新潟に向け爆走する。この2〜3日天候がすぐれなかったため天気情報とにらめっこの毎日だった。東京、埼玉、群馬と雨雲が切れずに小雨がシトシト。車のワイパーを動かし続けていたが、三国トンネルを抜けると遠くの雲の切れ間から青空が顔をみせていた。現金なもので青空を見ると一人元気になってくる。
六日町の花火はここ数年来毎回観覧している。内容的に大仕掛けなプログラムが組まれているわけでもない極普通の花火大会である。ただそこは新潟県。尺の大輪がポンポンと普通に上がる。関東に居るものとしてはこれは魅力である。夜空を覆いつくすように広がる大輪は関東者を魅了するに充分である。画像そして・・・!なんと言っても観覧場所が自由自在!直前に横浜で観覧した者としては夢のような状態がそこにある。魚野川河畔での観覧だが、場所によっては隣のグループの話し声が、微かに風に乗って聞こえてくるくらいの距離がある。ごくたまに子供が走り回っていても気になどならない。許せるのである(笑)マァ〜とにかくゆったりしているわけですよ。私に言わせれば理想の観覧状態なのである。画像打ち上げと打ち上げとの間には川のせせらぎの音が聞こえるし、耳を澄ませば虫の声も聞こえて来る。夏の一夜の花火観覧、こうありたいと思うのは私だけか(笑)
今宵もゆったり観覧させていただきました。勿論、打ち上げ終了後車が渋滞することもありません。さくさくと皆さん家路につくのでありました。
19時30分花火打ち上げ開始、(有)片貝煙火工業(新潟県小千谷市)最大10号 。
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『第51回 みなと祭国際花火大会(神奈川県横浜市)』

2006/07/17 06:39
画像7月16日横浜に花火を見に行く。今夏初めての花火観覧である。横浜は様々な種類の玉や、多数の花火師の方達の渾身の花火が上がる為、毎年楽しみな花火大会の一つになっているが・・・・・人出の多さに比べて観覧場所があまりにも狭い!激込み覚悟の大会である。当初場所取り戦場状態の山下公園や今年から有料席が設けられ自由席激減の山下ふ頭を避け、比較的混雑度が少ない(すいているという意味では決して無い)赤レンガ倉庫周辺を考えていが、早朝友人からのメールで、これまた友人のFくんが徹夜で場所取りを決行していてくれていると知らされ急遽山下公園に観覧場所変更(まったくの他力本願!)。画像絶好の場所でF君は場所をとって待っててくれました。本当に感謝感謝!!。
数日来の高温多湿が和らぎ涼風が吹く中、銘花の数々に出会えることができました。花火シーズン本番突入の一日でありました。
花火打ち上げ開始19時30分、「横浜 山田の花火(神奈川県横浜市)」最大10号
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『佐原の大祭夏祭り(本宿八坂神社祗園祭礼)千葉県香取市』

2006/07/17 05:36
画像7月15日「佐原の大祭」に行く。これまで何度となく訪れ観覧している祭である。佐原の祭りは夏と秋二回行われるが、祭の時期が近くなると自分のスケジュール帳に丸が付く(笑)。ある人に、毎年のように訪れて見飽きることが無いのかと聞かれたが、答えに窮してしまったことがある。魅力ある祭りは何度行っても楽しいし、そもそも自分の中に祭を見飽きるという経験があまりなかったからかもしれない。特に佐原は自宅より車で一時間強というアクセスの気安さもあるが、何度訪れてもそれなりに興味をかきたてられるものがある。又それ以上に祭の楽しさを充二分に感じることができるのを知っている為、祭の時期になると自然と足が向いてしまう。車を降り街中を進むにつれ聞こえて来る「佐原囃子」はこれから出会う数々の山車を予感させ、山車の上に据えられた人形には毎度のことながらもその存在感に圧倒されつづけている。画像小野川沿いを下座連演奏の佐原囃子と共にゆったり進む山車人形は、何時まで見ていても飽きることが無い。そこかしこで出会う曳き手による手踊りは調子の良い囃子とあいまって祭りの高揚感を感じさせる。
今回は仕事帰りの滞在2時間ほどの佐原であったが毎回感じるなんとも言えない充実感を胸に帰宅することができた。
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『飛び魚』

2006/06/18 03:28
画像房総の海沿いに住む友人から飛び魚のたたきをいただく。
友人の母上の手料理ということでわざわざ届けてくれた。

容器を開けて少々とまどう。
私が予想していた「たたき」とは随分様子が違っている。
ひたひたの甘酢に漬け込まれた「たたき」が容器一杯に敷かれ、甘酸っぱい香りを放っている。
そして「たたき」の表面には賽の目に筋が入っている。

口の中に入れた「たたき」は、飛び魚の地味が甘酢に引き立てられ余韻を引くような美味さ!
食感は柔らかく、練りこまれた大葉の香りが口中に広がる。
「うめぇ〜」の一言!これを逸品と言わずになんと言おう!!(笑)

さっそくメールで厚かましくもレシピの質問をしてみる。
御丁寧なお返事が返ってきた。
飛び魚を大葉と少量の味噌でたたいて甘酢につけたとのこと。
賽の目の筋は「たたき」に甘酢がうまく浸透し形がべチャッとしないためらしい。

房総の郷土料理に「なめろう」と呼ばれる料理がある。
鰯などの青身の魚を白味噌と大葉やら葱やらと一緒にたたいたものだが、これに似ている。
今、料理屋で「なめろう」を注文するとたたいたままの形(粘りが出るまでたたいた物)で出てくるが、昔はこれを三杯酢で食したと聞いた事がある。
今回の頂き物は「たたき」というより飛び魚の「なめろう」といったほうがいいのかもしれない。
飛び魚は初夏の魚だという。季節感が不足気味の我が家の食卓だがこの日だけは初夏の美味を満喫することができた。

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『山王祭(日枝神社例大祭)東京都千代田区』

2006/06/16 02:22
画像10日山王祭(千代田区赤坂日枝神社例大祭)に行く。当初の予定では9日の神幸祭を観る予定だったが、予想以上の雨天だったため見学中止としてしまった。以前なら、興味ある祭は雨が降っていても平気で駆けつけたものだが、歳とともに天気のご機嫌次第でクルクル予定が変わる横着者になってきた(笑)。
山王祭は江戸期には何十台もの曳山や練物が巡行していたそうである。そして江戸城内で歴代の将軍様が上覧拝礼することから、神田祭とならんで江戸天下祭とよばれ、日本3大祭(他の2つは京都祇園祭、大阪天神祭)の一つとして盛大なものであったらしい。画像現在でも神幸祭には当時の祭礼形式が部分的に継承されており、日枝神社から約8時間ほどかけておよそ500人で構成される御列が皇居坂下門で参賀をしつつ氏子町内をくまなく回る。氏子町内といってもその範囲はかなり広く、昔より「だだっ広いは山王様」と言われたほどで、赤坂、九段、麹町から銀座、日本橋、京橋あたりの全てが氏子町内となる。ちょうど皇居を中心に考えると西から南の外周地域のほとんどが氏子町内となる。日本の多くの祭礼が神社の氏子町内を基にして行われており、その広さも小一時間も歩けばすべての町内をくまなく歩けることを思うと、日枝神社の氏子町内がいかに広いかを知ることができる。画像私がまだ日枝神社の存在も知らなかった若年の頃、当時の勤務先が赤坂近辺にあった。6月になると仕事で車を走らせる先々が一様に祭礼提灯を出し始め、その地域の広さから、何処の神社の祭礼かと素朴な疑問を持ったことがある。江戸期には町内構成も今より細分化されていたと聞くから、それぞれの町内から曳山やら練物を行列に参加させればかなりの台数になり、山王祭がいかに盛大だったかを氏子町内の広さからも想像することができる。
久しぶりに山王神社に参拝する。行きは正面の男坂を息を切らせながら登った。参拝後、外堀通りに下りようと道を探していたら、立派で長いエスカレーターが設置されているのを見つけちょっと驚いた。外堀通りは車でよく走っているので神社の大鳥井は良く目に入り知っていたが、その脇にエスカレーターが設置されているとは気が付かなかった。さすがというか、大鳥居から神社本殿までエスカレーターで連れて行ってくれる神社は私が知っている限り他所では知らない。画像登りだけとはいえ多分日枝神社だけであろう。夜の神輿の宮入はエスカレーターですかね?などと馬鹿なことを想像し一人吹き出してしまう(笑)。神社の周りに掲げられている奉納提灯の名を見ても、奉納者は日本でも著名な法人企業ばかり。こんなことでも感心してしまう。さすが都心のど真ん中の神社だけのことはあるナ(笑)。
神社参拝の後、清水谷公園から出発する予定の山車・神輿の列を見学しようと赤坂見附の交差点近くに移動する。この行列は「糀町惣町睦会」と言い永田町、平河町、隼町、紀尾井町、麹町、九段の20町内で組織されている祭礼組織の合同統一行事であり、日が落ちた頃に日枝神社に宮入する。見附の東急ホテルの前あたりで待ち構えていると、交差点の向こうの坂上から高張り提灯の集団が近づいてくる。画像その後ろからは町内神輿と共に底抜屋台のお囃子連が神田囃子を演奏しながら続いてくる。何台かの町内神輿に挟まれるように山車もやってくる。山車は「牛若丸」の乗った九段三丁目と「弁慶と牛若丸」が乗った九段4丁目、そして「東郷元帥」が乗った三番町会の三台である。それぞれに御囃子を演奏しながら通りすぎていく。目の前に近づいた御囃子は元気で威勢がいいのだが、遠ざかるに従いビル群の谷間にお囃子の音色が吸い込まれてしまうような気がする。通常なら見上げるほどの山車の高さも道路両側にそびえ立つビル群の大きさに、なにやら埋もれてしまうような気がしないでもない。東京のビル街を巡行するんですからしょうがないと言えばしょうがないんですがね〜。画像赤信号では途中止まらなければならないし、車両が少ない土曜日とはいえ山車の脇を車がすり抜けていくのをみていると大都会の真っ只中の祭礼を感じざるをえない。それでも山車の曳き綱をとる子供達の顔は「ヨイショ!ヨイショ!」と楽しげである。神輿を担ぐ大人達も慣れないことに戸惑いつつも、和気あいあいの様子がそこかしこに見て取れる。役員の方であろうか、ハンドマイク片手に懸命に行列を整えている。確かに江戸・明治初期に行われていた江戸天下祭のかっての隆盛ぶりは見る影も無いものの、それでも社会情勢等の大変化の中で「山王祭」が形を変えながらも氏子の方達によって受け継がれて来たことに敬意を感じざるをえない行列であった。画像
日も落ちかかった頃より山車・神輿の宮入が始まる。神社の参道に集結した神輿は山車のお囃子をバックに威勢良く男坂を登っていく(当然エスカレーターは使っていませんよ(笑)。神社の木々の中で、灯りに照らし出されながら、右へ左へと揺れる神輿の鳳凰はやはりビルの谷間の鳳凰より断然美しくみえる。祭にはそれを取り囲むロケーションも重要なファクターになると勝手に思ったりしてしばらく見入っていた。
自宅への帰路、明治初期に東京から千葉県佐倉市に譲られた山車人形が展示されていると聞き日本橋高島屋に寄る。正面入り口を入ったところに「石橋(しゃっきょう)」と「玉ノ井龍神」が展示されており悠然と立っていた。現在は佐倉市で曳き回される山車に乗せらているが、江戸天下祭では日本橋近辺の街中を曳き回されていたという。山王祭に合わせての里帰りと言うことらしい。人形の表情の豊かさや立ち姿の存在感にみとれてしまった。
画像高島屋を後にして中央通りを銀座方向に歩いていった。路上の所々に設けられた祭の会所が明かりに照らし出されている。交差点の向こうに何基かの神輿が巡行しているのが見て取れた。かすかに聞こえるお囃子の音色と、街路灯に光る神輿の鳳凰の動きが印象的な夜であった。
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『ピエンロー(扁炉)』

2006/06/09 04:30
久しぶりにピエンローを食べる。このピエンロー、かなり以前に舞台美術家の妹尾河童さんの著作物で知り、試してみたら病み付きとなり、いつの間にか我が家の鍋料理の必勝(?)アイテムのひとつになったものである。できれば白菜が美味しい冬場に連投させたい鍋料理だが他の季節にも充分満足できる抑えのエースでもある。作り方はいたって簡単。そしていくら大雑把にやっても味付けは食べる人の好みでどうにでも変えられる為、誰が作っても充実感を得られる。今回用意した材料は次の通り。ちょっと多いかなと思ったが女性を含めた3人でぺろりと食べてしまった。画像

@干し椎茸60g(戻し汁は当然鍋の中に投入する)
A豚肉300g(ばら肉がおすすめ)
Bとり腿肉500g(今回から揚げ用のものを使用。あっさりしたササミより旨味が出るような気がする)
C白菜二分の一カット(ザク切りにする)
D緑豆春雨(水で戻して使用)
Eごま油(特に指定なし、というより高価なものは使用したことが無い)
F粗塩(お好みの塩でOK)
G一味(無ければ七味でも代用可)

我が家では食材の量は特に決めておらず、豚肉が沢山食べたければ多くし、野菜に飢えているときは白菜一株をザク切りにして入れてしまう。@〜Dまでを火の通りにくい順に鍋に投入する。白菜は肉厚の白い部分は早めに入れ青い部分は暫し後。春雨は最後の最後。これも好みであるが白菜はクタクタになるぐらい火を通すと美味になる。煮立ったところで、ごま油を円状に2〜3周かけ回す。このごま油の量もお好み。ごま油が得意な人は多めに、あっさり好きは少なめに。食べる時は銘々の器にいれた粗塩に鍋のスープをたして各自味を決める。当然、各人の塩の量によって味の濃さが変わってくる。後はこれまたお好みによって一味を振る。塩の増減によってそれぞれの好みの味が決められるのがこの鍋の特徴である。椎茸、野菜、肉が作り出す旨味スープが少量の粗塩とごま油によって一層引き立てられてくる。スープが美味しく売れ行きも良いので我が家では多めに作る様にしている。具を食べ終わった後、又は翌日、適量の白米飯を入れて「おじや」に仕立てると一層の満足感に浸れる。お勧めの逸品鍋である。

注:我が家では妹尾さんの忠告を守り鍋の中には上記以外の具材は入れないようにしている。春菊が好物なので入れたい欲求にかられたこともあるが、あえていれないで我慢している(笑)ピエンローを食べてみると、そのシンプルさが持ち味だけに余計な具材を入れないのが正解だと思っている。
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『伏木曳山祭(けんか山)富山県高岡市』

2006/05/22 06:52
5月15日「伏木曳山祭」(富山県高岡市)を見学。画像今年初めての安房峠越えである。深夜出発した為に松本市内でうっすら東の空が明るくなってきた。安房トンネルを通過するころには日が昇り、振り返ると北アルプスの峯々が望めるようになってきた。道沿いの山の緑に点在する山桜の白さが目を引く。下界では桜の花はもう見ることができないが、開花時期が遅めの山桜は標高の高さもあってか充分に目を楽しませてくれる。いつも急ぐように通り過ぎる安房峠だが、時間があれば新穂高のロープウエーに乗り北アルプスに近づいて一望したいといつも思っている。
7時過ぎに伏木の街中に入る。若干の仮眠の後、お目当ての曳山に出会うべく出発する。伏木の山車は正式には「花鉾傘人形山」と呼ばれる形のものだが地元の方たちは「山」と言っている。山の形は以前観覧した高岡の御車山を発祥としているようだが、大きく違うのは下山に付長手という樫の大木の木組みが付くことである。伏木の祭は別名「けんか山」と呼ばれており、夜になると無数の提灯が取り付けられ山と山とをぶつけ合う「かっちゃ」が行われる。画像そのときに大きな武器となるのが樫の大木「付長手」である。「付長手」のことは話には聞いていたが実際に間近で見てみるとその迫力ある武器?に驚かされる。地元では大砲とも呼ばれているようだが、私が見てもまさに大砲そのものの印象をうける。上山が七福神を飾り、花笠をしつらえるという繊細な造りだけに下山の「付長手」は、迫力からいってもかなり目を引く。またそれぞれの山に据えられた「付長手」は微妙に大きさやら付け位置が違うようである。地元の方にお聞きするとその形の差異が山のけんかの勝敗を分けると言うからこれまた驚きの連続である。画像
昼過ぎまで花山車の巡行の後に付いてまわる。駅前のメイン通りから一歩中に入るとかなり細い道の連続である。その道を約10トン近くあろうと言われる花山車が、曳き子の「イヤサー」の掛け声で旋廻、直進する。山の重量が重量だけに通った後をみると、アスファルトの道のそこかしこに山の轍ができている。後の補修はどうするのかと下世話なことも思ってしまう。道の両側軒先すれすれに山を操るには曳き子の呼吸の一致の成せる技であり感心し見入ってしまう。辻回しも力任せのエイヤーであるから重量がある分微調整に苦労されているのがみてとれる。
画像途中山の巡行から離れ伏木神社を参拝したり食事をしたりで夜の「かっちゃ」の開始を待つ。夕方には山の装飾が取り外され無数の提灯が取り付けられた提灯山となる。山に乗っていた前人形も各町の半纏に着替えさせられねじり鉢巻で戦闘モードに突入する。「かっちゃ」は夜19時過ぎと22時30分ごろに街の二箇所で行われると案内されていた。明るいうちに山倉まで行き、ずらりと並んだ6台の提灯山を見ることにする。提灯山も素晴らしいが新しく新築されたという山倉も素晴らしい。本当に山が街のシンボルであり、街の方たちの力の入れようが山倉をみても理解できる。日が沈んだころ提灯山は列を作って山倉を後にする。とりあえず最初の「かっちゃ」を見学しようと山の後を追うように駅前の通りに向かうが、大勢の観覧客がひしめき合っていて思うように前に進めない。画像こりゃ山の後なんかに付いていないで「かっちゃ」の現場に待機していたほうがよかったか?なんて思ったが後のまつり。道を先回りして現場に向かうが、人波にもまれて近くには行けても「かっちゃ」の正面に行くには到底無理。そうこうしている内に前の方で山と山がぶつかる「ガツーンッ」の音が聞こえてくる。なんとか人を掻き分け近づこうとするが真正面からの観覧はまず無理とわかる。それでもぶつかる音の大きさと、ぶつかった瞬間に提灯が揺れる様は迫力満点。祭のポスターに「地鳴りか、雷鳴か、山の叫びか。」とコピーが書かれてあったがまさにその通り。山と山との衝撃音がこちらにまで伝わってくるような迫力がある。22時過ぎの「かっちゃ」は前回の人波に押されまくった失敗から、20時ごろよりもう一方の現場である本町広場で場所取りを決行する。2時間以上の待ち時間は当初かなり長いように思えたが、同じように場所取りをしている地元の方たちとの会話も弾みあっという間に時間が過ぎた。画像今回は前回と違い真正面からの観覧。衝突場所が眼前であるだけに山のきしむ音やら「付長手」の反り返る様などはっきり見聞きできる。ぶつかる前の総代の笛の音で緊張感が走り「イヤサッ」の掛け声と共に二台の提灯山車が走り出す。ぶつかった時は曳き子共々山がのけぞる。特に勝ち負けは無い様だが、何度かの衝突が終わった後は各町の総代による握手となる。
結局24時過ぎまで伏木に滞在してしまった。この伏木の祭は「けんか山」と喧伝され「かっちゃ」があまりにも有名になったようだが、みどころはその他にも沢山有った。山の装飾やらお囃子の音色やら数え上げたらきりが無い。また山を曳く若者達も礼儀正しいのも印象的であった。山の運行中の飲酒などは皆自制していると聞いた。「かっちゃ」に代表される激しい祭だけに参加する方達もそれなりの規範があるのであろう。北陸の祭はたびたび観覧させていただき大いに勉強することが多いが、伏木の祭も他の祭におとらず印象的で素晴らしい祭であった。
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『里山辺お舟まつり(長野県松本市)』

2006/05/14 05:04
画像5月5日長野県松本市里山辺地区のお舟まつりを見学する。里山辺のお舟山車は、お舟と言っても全国各地で見られる舟の形をした船形の山車ではない。二層二輪の山車の前後に竹やら丸太などで張り出しを付け、そこに大きな布幕を被せ船型にしたものである。それを左右上下に揺らしながら街の中を曳き回される。布幕が上下左右に揺れる様はまるで荒海に翻弄される小船のようであ画像り、近づいてくる山車をみるとかなりの迫力がある。お舟まつりは「須々岐水神社」の祭礼である。地元の方のお話では水の神様も祭ってあるとのことで山車の随所に竜の彫物が多く見られる。又各所には精密な彫刻が無数に施されている。江戸期の諏訪立川系の彫物師達によるものとされており、鑑賞眼が無い私が見てもその重厚感に驚かされる。画像欅の一枚板を見事に彫り抜いた彫刻の数々はため息の連続である。もう少し彫刻に関する知識があればと悔やまれることしきりである。お舟まつりには9艘のお舟がくりだされる。午前中に全てのお舟が整列したあと昼前に須々岐水神社に曳き込まれる。深い木立に囲まれた神社に整列したお舟の様は、まるで深海に辿り着き停泊している船団のように思われた。この祭には、各地でみられる提灯を灯しての夜の祭はないと聞画像いた。確かに夕刻には神社を出たお舟は地元各地区に帰り、山車倉にしまわれたようである。ただ晴天の一日、信州の山々を背景に曳き廻されるお舟の美しさは、灯火に映える山車以上の格別のものがあった。
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『青梅大祭(東京都青梅市)』

2006/05/13 22:33
画像5月3日青梅大祭に行く。これまで青梅の祭には何回か訪れていたが、車を使用したのは久しぶりである。駐車場は永山公園と聞いていたのでそちらに向かったが、鉄道公園に隣接している為か午前中にもかかわらずかなり埋まっていた。晴天の連休初日ということもあってか、子供を連れた家族連れが圧倒的に多い。公園は青梅の市街地を見下ろす小高いところに位置しているが、市街地の方向よりお囃子の音が微かに聞こえてくる。急な坂道を下り市街地に近づくにつれ、お囃子も鮮明に聞こえるようになってくる。祭りが自分にむかって近づいてくるようで、気持が段々高揚してくる。
画像私の生家が東京の西部であったため青梅の祭には特に親しみを持っている。山車は西東京のいたる所で見られる屋台型であり、私の育ったところでも同様な型の山車が今でも曳き回されている。お囃子に合わせておかめ、ひょっとこ、狐などが山車の上で踊られる。お囃子も流派はさまざまあるようだが神田囃子の流れをくんでいる。なかでも「屋台」「仁羽」などの曲目は幼少の頃より聞き慣れたメロディで、出会うたびに懐かしさ以上のものを感じてしまう。その昔、生家の裏に地域の公民館があり、祭が近づくとお囃子の練習の音が毎夜聞こえてきた。画像毎年その囃子の練習が始まると、子供ながらに祭の時期を感じ胸が高鳴ったのを憶えている。当時「仁羽」を口笛で真似て吹いて得意がっていた思い出があるから、お囃子は幼少のころより自分の中に刷り込まれてきた音楽の一つと言ってもいいかもしれない。だからと言うわけでもないのだが、上手なお囃子を聴くと本当に聞き惚れてしまう。青梅は西東京でも祭囃子が立派に継承発展されているところでもあり、居囃子も街のあちこちで盛んに演奏している。山車の囃子やら居囃子やら次から次へと聴いて歩くだけでも飽きることがない。画像
又、青梅大祭の特色の一つに、西東京では廃れつつある昔ながらの祭礼形式の多くが脈々と継承されていることが上げられると思う。その一つに、今ではあまり観られなくなった、金棒を持った手古舞が山車行列の先頭につくのも青梅ならではとおもっている。画像昔は多くの祭で何人かの手古舞の子供達が参加していたように記憶しているが、いつのまにか数も少なくなり、今ではほとんど見かけることもなくなってしまった。また祭に参加している町内のそれぞれの役目の方達の衣装にも見飽きることがなく、七三にからげた尻端折などをみると江戸の粋を感じさせずにはおかない。若者の中にも腰帯から根付けを覗かしてるのを見かけると、昔ながらのちょっとした習慣がまだまだ息づいているのかと興味を持ってみいってしまう。画像青梅は東京の西の外れに位置すると言えども、著しい都市化の影響は多大なものがある。それでも青梅大祭には昔ながらの祭礼形式が継承され、独特の祭文化が息づいている。祭を通してこの地域の豊かさが垣間見ることが出来る。午前中に訪れながら最後の山車の競り合いまで観覧してしまったが、訪れるたびに興味尽きる事無く、充実した青梅の一日であった。
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『五所八幡宮例大祭(神奈川県中井町)』

2006/05/01 03:22
画像4月29日五所八幡宮例大祭(神奈川県足柄上郡中井町)に行く。例によって、仕事終わりが深夜にかかった為そのままの出発となる。この数年29日は仕事と重なる年が続いていた為、今年も半分あきらめかけていた祭礼の一つである。当初、水沢(岩手県)の「日高火防祭」も候補にあったが、距離を考えると体力的に日帰りは無理とあきらめ中井町に決定したわけである。いつも突然舞い降りてくるような休日の為、準備不足の出発になるがそれも仕方がないと毎度言い訳している。祭礼は一年に一回であるから「行ける時に、とにかく現地に行くべし」というのが偽らざる気持である。画像
朝方中井町に到着後、車中にて仮眠。車をたたく雨の音で目を覚ます。天気予報で雨天は伝えられていたが、これからと言う時に気勢をそがれた気持ちになる。それでも小止みになったのを見計らい神社に向かう。山車は神社に面した路上に整然と整列しているが、特徴のひとつである山車鉾が立っていない。やはり降雨のため取り外したようだが、鉾無しの山車をちょっと残念に思う。中井町には4台の山車がある。すべての山車は江戸期に作製されたもので、多くの重厚な彫刻が取り付けられている。平成に入りほとんどが大修復されたそうである。特に半分形(はぶがた)地区の山車は飛騨高山の山車職人によって修復されたそうで、美しさも一際に感じた。漆の色合いは他の彫刻類ともマッチし、独特の重厚感を放っている。いく層にも塗りこまれたであろう漆の輝きが、どちらかといえば地味目な彫刻の塗色を引き立てながら調和してる。画像山車の形は、私が始めて接する形である。一層部分は格子に囲まれお囃子連が演奏する空間になっており、その上の二層部分は高欄をめぐらせ、正式には一本柱の鉾が載るという。今回は鉾こそ見ることが出来なかったが、全体的に小ぶりながらも豪華な山車の印象を感じさせた。今回出会った神奈川県在住のK氏によれば、小田原近辺にはこれらの形の山車が多く見受けられ、「小田原型」と言っても良い様な山車の文化圏を作っていると言う。車輪は4輪で基台のなかに隠されている内輪式。山車の型はその地区、その時代でそれぞれ独特な型を継承してきているが、いわゆる「小田原型」ははじめての対面であり興味を持って見ることが出来た。夕方17時過ぎになると山車4台は御旅所に移動し、それにつづいて2台の御輿も御旅所に到着する。御旅所では関東でも珍しい「鷺の舞」が奉納される。画像日も落ちる頃になると中村川沿いに立てられた松明に火が入れられ、そこに移動した山車の目前で御輿の「川いれ」が始まる。これがこの祭のクライマックスの一つである。中村川に掛かる橋の上は多くの見物客で鈴なりになる。20時過ぎに川沿いに整列していた山車は各地区に戻って行くのであるが、それぞれの山車の別れ際に囃子連によって演奏される太鼓の連打「しゃぎり」は祭の終焉を感じさせる印象的な囃子であった。画像中井町の祭は、数多くの山車が出、多くの観光客を集める著名な祭では決してない。ただ集落の中で何百年もの間継承され、生活の中で生き続けたこの祭は訪れた者に多くの感動を与えることは間違いない。
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『新府桃源郷』

2006/04/19 04:07
山梨県韮崎市にある「新府桃源郷」に行く。
昨年もこの時期に両親と行ったところであるが、今年も母のリクエストでの再訪である。どうせならばと近くにある北杜市の「真原(さねはら)の桜並木」にも寄っていくことにした。昼過ぎに到着するが、日曜日ということで大変な混みように驚く。画像何年か前に来た時はそれほどでは無かったのだが、今年は近くにある「山高の神代桜」(樹齢1800年、日本最古の桜として有名。国指定天然記念物)の満開の時期と重なり混雑に拍車がかかったようだ。桜並木を取り巻く景色は、西に甲斐駒ケ岳が大きく迫り北東に八ヶ岳を望むと言う申し分ないロケーションなのだが、桜並木に沿っての道は車の列また列・・・休日は交通規制を考えたほうがいいかもしれない(笑)。早々に退散し韮崎に向かうこととした。
「新府桃源郷」は北杜市から車で30分ぐらいの県道七里岩ライン(17号線)沿いにある。桃の花見というと笛吹市近在の桃畑が有名であるがシーズンの混雑度からすると比較的空いている穴場的な場所である。画像大型の観光バスが何台もやって来ると言うこともなさそうである。景色も真原と同様、南アルプス、八ヶ岳そして富士山が遠望できる。車を北杜市方面から走らせ林の木立を抜けると桃色の丘陵が目に飛び込んでくる。画像なだらかな丘陵全体があわいピンク色に染まっている。桜も好きな花だがピンク色に花開く桃の花も春の訪れを身近に感じさせる。ただちょっと残念だったのはまだ花が7〜8分咲き。なかには固い蕾のままの枝もかなり見受けられる。今日までがイベントの「花見会」最終日と聞いていたが、まだこれなら月末までは来る人を楽しませてくれそうである。花は満開前だが、なだらかな丘陵一面の桃の花と、そこかしこに顔を見せている菜の花は、春の彩と開放感を充分に感じさせる。母と一時間ほど桃の小道を散策する。天気予報では雨まじりの一日ということで覚悟して出てきたが、思いがけない晴天に春の一日を満喫することが出来た。
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『Sさんの釘煮』

2006/04/18 02:19
母の親友に兵庫県にお住まいのSさんという方がいた。
女学校の同級生というから60年来のおつきあいだったという。
そのSさん、昨年5月に他界された。

Sさんは、毎年春になるとお手製の「釘煮」を母の元に届けてくれていたそうである。
息子の私は不肖者でそんなことはまったく知らなかった。

テレビなどで「釘煮」の話題が出るころとなり、母はSさんを偲び親友の「釘煮」の味を懐かしんでいたようである。
ところが先日、届くはずのない「釘煮」が兵庫県より届いたという。

なんとSさんのお孫さんが、母の為に御自分で炊いた「釘煮」を届けてくれたのである。
母はお孫さんとは直接的な交友がなかっただけに、驚きとともに感激も大きかったようである。
母の感激は言うに及ばず、それを聞いた私も、会ったことも無い母への御心遣いに感謝の気持ちでいっぱいになった。

母からのお裾分けで拙宅にも「釘煮」が届いた。
先日の友人からの「釘煮」とはまた違った味がする。
母は「Sさんの味とそっくりだ」と目を細めながら何度も繰り返し言っていた。

春になると思いを馳せるものが又一つ増えた。嬉しいことである。
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『三熊野神社大祭』

2006/04/13 03:11
画像週末九日、静岡県掛川市大須賀町の三熊野神社祭礼を見学する。以前より行きたい祭の一つであったが、毎年この時期仕事の都合で休みとの折り合いがつかず、行かずじまいに終わっていた。ここで曳かれる山車(御当地では祢里という)は全国的にも珍しい一本柱万度型である。この一本柱万度型、本やネットなどでは目にしていたが、初めて実物に出会ったのは2003年に行われた江戸開府400年事業「江戸天下祭り」の山車パレードのときである。画像丸ノ内のビル街を、万度の先端に据えられた山車人形が、右へ左に揺られるようにこちらに向かって進んでくるのを見たのが初めての出会いである。日頃私が見慣れている、関東近県の4輪山車とは明らかに違う2輪山車の動きが印象的であったことを覚えている。江戸時代には、ほぼ同型の山車が江戸市中を曳かれていたと言われ、その縁もあって江戸開府400年事業に招かれたようであった。
画像前日の仕事終了が深夜にかかった為、そのまま車で静岡入りする。途中仮眠を取ったとはいえ、まだ眠気まなこの大須賀町である。それでも遠くから聞こえてくるお囃子の音を聞くとそわそわと心なしか覚醒してくるから現金なものである。三熊野神社を参拝後、祢里に出会うべく街中を歩く。前方よりゆっくりした速さでこちらに向かってくる祢里をみつけると自然足が速まる。けっして祢里が逃げるわけではないのだが、初めての場所で初めての山車と出会う時はいつも足が速まるのが自分でも可笑しい。近づくにつれ独特のお囃子と掛け声が聞こえてくる。「シタッシタッシタッ」の掛け声と共に「山し」(祢里の上の人形)が揺れている。東京で出合った祢里を思い出し懐かしく思う。この祭の特徴は曳き手にもあるという。画像小さな子供からお年寄りまで、皆一様にお囃子にあわせてステップを踏んでいる。曳き綱を持っているときはもちろんの事、立ち止まって話をしながらもステップ、酒を立ち飲みながらもステップはつづいている。「シタッシタッシタッ」のステップである。見ていると、こちらまで楽しくなってくる。祢里の上ではおかめ、ひょっとこ面をつけての踊り(手古舞)がはじまる。これも関東近県で見るひょっとこ踊りとは異なり、曳き手を鼓舞しているような振り付けを感じる。両手に持った扇子を扇ぎ、曳き手に向かって調子をとっている。馬鹿囃子で飛び出した般若は御幣を振り回しながら皆を鼓舞している・・・ように見えた(笑)。画像後で聞いたことであるがお囃子と踊りは毎月のように町の公民館で子供達が練習しているという。確かに手古舞の踊り手を良く見ると多くが少年であることに驚く。囃子も関東に比べるとちょっと大きめの締め太鼓を子供達がたたいている。小さな時より祭に親しみ祭りに育てられる土地柄であることが理解できる。囃子の笛も独特で太目の音調で転がすような音を出している(さすが笛の奏者は多くが成人)。画像
祢里が神社の鳥居に近づくと、そこは頭上に桜の花が覆いかぶさっている。毎年、この時期の春の祭礼で思うことであるが、山車と桜は本当に良く似合う。日本人としての美意識など特に意識しない私であるが、山車と桜の景色には感動しきりである。画像今回も例外なく桜の下で曳き回される祢里の美しさに時間がたつのも忘れさせるものがあった。日本人に生まれてよかった(笑)である。
途中食事などしながらも、結局千秋楽とよばれる夜9時過ぎの神社内での祢里の集合と、手締め終了まで大須賀に滞在してしまった。翌日の仕事を気にしながら高速道路を飛ばして帰路に着いたが、頭の片隅で「シタッシタッシタッ」の掛け声が何時までも余韻を残すように響いていた。機会あれば又訪れたい祭である。
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『いかなごの釘煮』

2006/04/11 00:58
画像親しい友人から「いかなごの釘煮」をいただく。正月に黒豆をおすそわけした際のプラスチック容器にいれて届けてくれた。大阪の御実家の母上が炊いて送ってくれたという。開けるや否や指でつまんで口の中に放り込む。「・・・・・うまッ!!」。私がこれまで「釘煮」として食べていたものとはまったく違う別物。甘辛さの中に生姜の香りが目立たず入っている。甘さ辛さもちょうど良い。よく噛みしめると山椒の香りもひろがって来る。関東人の私がこれまで食していたのは「釘煮」といえども大量生産の佃煮の亜流だったのかも。しょっぱさやら甘さだけが口の中に残ったような記憶がある。
これを書くにあたって「釘煮」をちょっと調べてみた。「いかなご」を炊いたものであることも知らなかった。神戸地域を中心に、春になると多くの家庭で炊かれると言う。春と共に運ばれてくる季節の食べ物のようだ。春炊いて一年中食卓にのぼるらしい。手を掛けながらの味はそれぞれの御家庭で当然微妙に違うようだ。
気が付いたら、いただいた「釘煮」はもう器に半分ほどになっていた。美味しさにつられてついつい進んでしまった。・・・・来年は友人にもっと大きな器で黒豆を押し付けよう(笑)。
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『鰯料理』

2006/04/05 03:01
先日の『鰯』につづいて今回は料理屋の鰯料理を紹介する。友人が紹介してくれた料理屋で、あまり目立たないところにあるが地元ではかなり有名な店らしい。店の女主人の鰯に対するこだわりを聞きながらの食事であった為か、ますます鰯の偉大さに認識を新たにした。
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まずは鰯の押し寿司。
これまでの押し寿司は当然のように醤油にわさびが定番であったが、ここら辺では醤油と辛子で食すると言う。いわれるままに辛子醤油で食べてみると〜ナルホドナルホドの味。青物の魚の押し出しと辛子の強さがマッチして口の中で納得の味に仕上がっていく。もしかしたらバッテラなんかも辛子と会うかもしれない。



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女主人の名を冠した定食で出てくる逸品。
白米の上にとろろをかけ回し、その上に鰯の塩辛をどっさりとのせる。
塩辛の塩分もあまり強くなくほどほどの塩気。
とろろと生ものの鰯がこれほど相性がいいとはと感心しきり。自宅でも出来そうと思うが新鮮な鰯の刺身は入手困難かも、特に背黒鰯はまずない。




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見た目にも美しい鰯の骨せんべい。よく鰯料理屋ででてくる骨せんべいはおおぶりの鰯を使う為、骨太な骨せんべいになる。御主人の話によると毎日1時間は水で身をさらしながら骨をとるのだという。本当に手を掛けての下ごしらえが必要らしい。常連の客からは「骨まで使って金を取るのか」と冗談に言われるらしいが「鰯は骨まで食べられる証」らしい。食感も軽く程よい塩加減が美味。




画像
鰯の骨のふりかけ。
御主人苦心の作と聞く。
すりつぶした鰯の骨に、黒胡麻、白胡麻、青海苔、七味がまぶしてある。
素朴な味で子供にも評判が良いらしい。お土産用に販売もしてくれる。


今回行ったお店のURLは
http://www.dai-rin.net/
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『東金の桜と切られの与三郎』

2006/04/04 16:00
お花見に「東金さくら祭」(千葉県東金市)に行く。近場であることと、夜花火が上がるというので過去何回か訪れている場所である。
この時期、桜の開花情報がテレビや雑誌などで盛んに発信される。桜前線なんて言葉は昔なかった様に思うが、今は刻一刻と報道され、まごまごしていると前線が通り抜け、桜が観れなくなるような気にさせられる。私はいつもそのまごまごの口であるから、この時期になると花見の為の時間を何処かで作らなくてはなんて思いにとらわれてくる。実際は八分咲きでも満開過ぎであっても充分楽しめるのだが、頭の中は「ジャスト満開」に支配されるから自分でも可笑しくなる。本来は身近で桜の蕾を発見しながら春の到来を感じ、徐々に蕾が開花し満開をを楽しむというのが花見の王道(笑)のように思う。この数年、自分の中に時間的ゆとりが無いためか、そんな身近な春の到来すらも十分楽しめてないことに反省しきりである。
画像画像「東金さくら祭」は市内の八鶴湖周辺で行われる。江戸初期、徳川家康の鷹狩場の休憩所として造作された東金御殿の池が、後に拡張され湖になったと言われる八鶴湖である。その湖の周囲に今は約千本のソメイヨシノが咲き誇っている。等間隔に配置されたぼんぼりや提灯、露天の灯りが湖面に映えてとても印象的である。ところどころライトアップされた桜も湖面を染めている。山や川沿いに咲く桜も充分楽しませてくれるが、湖面に映える桜の情景も春の風物としては独特のものがある。湖面を走る風も早春を感じさせる。湖を半周ほど散策した後、湖に面する「最福寺」に向かう。
「最福寺」には歌舞伎などで知られた「切られの与三郎」のモデルとなった長唄の四代目芳村伊三郎の墓があると聞いていた。機会があればその墓を確認したいと前から思っていた。以前東金市にある日吉神社祭礼を見学した折、祭囃子(東金囃子)の中に三味線があり、どことなく節回しが長唄を思わせる部分があった。画像祭囃子の中に三味線が入り長唄に影響されることは決して珍しいことではないが、なぜ東金で・・・という思いが長い間あった。あるとき雑誌の紹介記事で「切られの与三郎」のモデルが実際に実在し、その人物は江戸長唄の家系である四代目芳村伊三郎その人であり千葉県房総に浅からぬ縁があると知った。そういえば与三郎の有名な台詞に「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から〜」がある。画像調べてみると芳村伊三郎は東金近在の出身で、若年時より長唄に魅せられ、恋仲となった茂原生まれのおきち(お富のモデル)と駆け落ち後、実際木更津に逃げたと言う。そこでボコボコにされ「切られの与三郎」が誕生するわけだが、私にとっての発見は当時より房総東金に、長唄がかなり流行っていたということであった。後に四代目を慕う五代目芳村伊三郎が東金に逗留し東金囃子に大きな影響をあたえたことも知り東金囃子に対する長い間の疑問も充分納得することが出来た。画像私にとって長唄といえば高尚な伝統楽曲と感じるが、確かに歌舞伎が地方芸能の礎になったように当時長唄も庶民の娯楽のなかに深くねざしていたのであろう。
「切られの与三郎」の墓を参った後、付近のしだれ桜に一枚の短冊が掛けられているのを見かけた。「世を拗ねて花に背向ける与三の墓」誰が詠んだのか、確かに八鶴湖の桜は墓の裏側にあたり、いつまでたっても与三郎には桜前線がとどき                    そうにない。
19時30分花火打ち上げ、内山煙火店(大網白里町長国)最大4号。画像
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『鰯』

2006/03/07 11:58
海辺の友人が鰯料理を運んできてくれた。
いつもならばこちらから訪問してご相伴にあずかる所だが、ちょっと仕事が忙しくてそうもしていられない。これまで、獲れたての鰯を食べたさに、数回勝手に訪ねたが未だ新鮮鰯に出会っていなかった。聞けば昨年から鰯が不漁だそうで、行けば必ず獲れたての鰯と出会えるというものでもなかったのである。画像今回は私の食い意地に呆れた友人が、鰯が港に上がるや否や、わざわざ連絡してくれたのだ。感謝感謝!
鰯というと昔から肥料やハマチのえさに使われたりで、魚世界では格下に扱われていた。現在に至っても豊漁時にはスーパーの店頭で特売商品一山幾らで売られたりしている。又、鰯は字の通り弱い魚である為、鮮度が落ちやすい。私達の口に入るまでには鰯の実力が主張できないまま終わってしまうことが通常である。たまに飲み屋で鰯の刺身とやらを食べたりするが、ふぬけた鰯になっちゃって実力とは程遠くなっている。そう考えると鰯は不運な魚なのである。
今回友人が運んでくれた鰯は見るからに実力がみなぎっていた。「スーパーの駄目鰯とは違うんだぞ」なんて主張しそうなたたずまいをしている(笑)。料理は3品。「煮付け」「胡麻漬け」「醤油漬け」。友人の母上が調理されたものだが、どれも手が掛かっている。鰯は小魚で特に金物を嫌うといい調理は全て指先の技である。味付けも当然絶品の域に達している。特に「醤油漬け」の美味さといったら・・・鰯が甘いのですよ!ピリッときかした大蒜と醤油が生の鰯にからみついての極上の逸品(写真上)。友人に言わせると、これをご飯の上に刻み葱と一緒にドンと乗せ、上から熱湯をかけたら最高だという。死ぬ前の最後の食事にしても良いとのたまうのも納得できる。確かにそれほどまでに言われる実力を忍ばせているのである。料理屋で同じ「醤油漬け」を食べても、鮮度が落ちていたり冷凍物だったりすると箸の先で身が崩れる。画像鮮度が命とは本当に良く言ったものだ。「胡麻漬け」は友人の地域ではポピュラーな料理。酢漬けのなかに赤唐辛子と胡麻・生姜をからめた料理である。昔から港に鰯が揚がると酢と胡麻が店頭からまたたくまに無くなったと言う。ただこれも酢加減塩加減がさまざまで各家庭それぞれ違うらしい。友人は母上の味付けが最高と言い、真剣にレシピの継承を心配している。やはりこれもスーパーなどでたまに見かける「冷凍胡麻漬け」などとはまったくの別物の逸品であることは言うまでもない。

友人のおかげで至福の一夜を過ごすことが出来た。
鰯君に栄光あれ!!
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『携帯電話紛失!』

2006/03/06 23:00
携帯電話を又紛失した。
又である。ちょくちょくではないが又である。
前回は1年半ぐらい前であるから・・・やっぱり又である。
その時は1週間ぐらいたって警察から連絡があってしょんぼりと取りに行った。
もう新しい携帯を購入した後だったが。

今回は・・・すぐに出てくるとは限らない。
無くしたとわかった時点ですぐに回線をとめてもらう。手際よし!
翌日朝10時にドコモショップへ駆け込む。
適当な機種を5台出してもらい当然のように一番安い機種を購入する。
電源コードも2本購入し合せて7800円の出費、やれやれ〜〜。

携帯なんて本当は持ちたくないと思っている。
まず荷物が確実に1つ増える。
昔携帯を持ち始めた頃はショルダータイプの馬鹿でかいやつだった。
肩に掛けて歩いていて本当に邪魔な存在だった。
それがだんだん小さくなり手のひらサイズになり画期的に軽くなった。
荷物としては随分良くなったが、心の負担は昔以上に重くなったように感じる。
連絡ついてあたりまえ、メールで知らせれば必ず読んでいて当然!
連絡してもらわなくてもいいこと沢山あるんだけどな〜
知りたくないこと・・・あるんだけどな〜

今子供の間で待ち合わせの時間があいまいになってきていると聞いた。
遅れても携帯で事前に連絡すれば子供の間では許されるらしい。
そういえば私も言ってます。「遅れる前に携帯で連絡入れろよ!」
昔は皆が待ち合わせ時間にかなりシビアだった。
遅れ気味のときは、待ち合わせ場所まで小走りだったよな。
私はいつも言い訳考えながらダッシュ気味だった記憶がある。

携帯がなかったころが何だか懐かしいぞ。
携帯なくても世の中上手く回っていたんだけどナァ〜

・・・それでも無くした携帯の未読メールが気に掛かる今日この頃である。


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『越後浦佐毘沙門堂 裸押合大祭(新潟県南魚沼市)』

2006/03/05 06:14
桃の節句にあたる3月3日、新潟県浦佐毘沙門堂で行われる祭事。
初めて観覧したのは20数年前です。それから何回か観覧していますが、初めての観覧時に感じた土俗的でありながら人々の圧倒されるようなエネルギーは今回も充分に感じとることが出来ました。今回は母を同行しての観覧となりました。何年か前に観覧したときは雪があまり無く、境内に黒い土肌を見かけるほどでしたが今回は記録的な大雪のため、境内はもとより、至る道々にはうずたかく雪が積もり、見上げるほどの雪壁になっていました。雪無し県より来訪した母と私は、あまりの凄さに驚愕することしきりです。今回は3日夜の行事を観覧しました。
この祭は毘沙門天信仰を本にしたもので、地元南魚沼市浦佐地区のみならず、中越地区全域から多くの信者の方たちが集まる祭として有名です。およそ1200年に渡り継承されているといわれています。境内の毘沙門堂にいたる参道には、各所・個人より奉納された巨大で子供の丈程もありそうな大蝋燭がずらりと並べてあります。
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その参道を裸の男衆が「さんよ、さんよ」の掛け声とともに、毘沙門堂めざして駆け上がってきます。堂内では絶間なく押し合いが行われ、上から掛けられる冷水も、その男達のエネルギーに瞬時に昇華されるように感じられます。堂内・境内では「福物撒与」といわれる行事が何回かに渡り行われます。主に堂内では金杯・銀杯・穀種など、福餅・弓張提灯が境内に集まった人々に撒かれるわけです。境内の人々は争うようにその福物を争奪するのですが、争奪戦が長くなると大蝋燭をかかげた青年団の若者達が仲裁に入ってきます。私も以前この福物撒与に参加し弓張提灯をむしりとった事がありましたが、福物を手にした高揚感はいまも記憶に残っています。結構激しい争奪戦となることもあるのですが、なにせ毘沙門天(多聞天)のお祭ですから荒々しいほど神も喜ぶのかと解釈しています(笑)。
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この祭事を取り仕切る青年団は「多門青年団」といい浦佐近隣の3地区から集まった30歳までの青年達によって組織されています。祭全般の取り仕切り、行事進行の一切を任されています。毎回感じることですが、この青年団の仕事は規律正しく、私達観覧者に対しても非常に小気味よいものがあります。良い祭を継承する為には、このような優秀な組織があって初めて成り立つことを確信させられます。2004年には「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選定されたと聞いています。青年団のこれまでの活動が評価されたことと同時にこれからの重責に期待したいと思っています。
祭は22時過ぎにクライマックスを迎えることとなります。神官の「ささら」を摺りあげる音に併せるかのように5名の歌い手による独特の歌がはじまり、「ささらすり」がはじまります。歌の内容は未だに判別できませんが、ところどころの歌詞によってそれが五穀豊穣を願うものだと理解できます。それまで堂内で押し合っていた男達は円陣の形を取り、お互いに肩に手を乗せつつ堂内を闊歩し始めます。
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私はこの「ささらすり」のシーンが、五穀豊穣を祈る祭事の中では最も感動的な場面と思っています。「ささら」の音と、唄に併せるせるように堂内を果てる事無く行進する裸の男達。五穀を食べるだけの私ですが、この1年無事に過ごすことができればと感じさせずにはおきません。
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以前より裸祭と言うと参加するのは男のみと思っていましたが、今回地区の古老より貴重な話を聞くことが出来ました。戦時中の数年であったそうですが女性が押し合いをしたこともあったということです。当時、徴兵の為男性が少なかったことも大きな理由であったようですが、参加した女性達は、戦いの神である毘沙門天に出兵した近親の男性の無事を祈ったといいます。
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祭事写真の為、個人の顔が写真に写りこんでいます。御不都合の場合は御連絡下さい。削除、差し替えさせていただきます。
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『ダッジオーブン』

2006/02/26 00:09
親しい友人と正月に会ったおり、彼が那須に別荘を建築中だと聞いた。そのときから、新築祝いにはダッチオーブンを贈ろうと決めていた。

このダッチオーブンというやつ、アウトドア料理の必須アイテムの一つだと思っている。
形は見るからに無骨な黒々とした鉄製の鍋だが、火種の上に置くだけで、肉の塊だろうが野菜だろうが見事な逸品料理にして私達を楽しませてくれる。細かい料理の技などほとんどいらない。ザックリと味付けし(塩・コショウをサッサッサ)あとはダッチオーブンにすべておまかせする。赤い炎をながめながら、料理の神様に祈るだけ。
我が家の「おまかせ定番メニュー」はラムの腿肉の塊や鶏一羽、それと食後の焼きりんご。人参やらジャガイモを適当に切り(切らなくてもOK)そのまま一緒に入れてしまう。後は至福のときがやってくるのを待つだけとなる。
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鍋といえどもかなり厚い鉄製の鍋である。火の入り方が普通の鍋に比べてじんわりと絶妙申し分ない。鍋の蓋も厚い鉄蓋なので、裏返しにした蓋を熱して、その上でステーキを焼くのも得意技である。一度熱した鉄蓋はいつまでも熱を保ち続けてくれる。又、ダッチオーブンの特徴のひとつに気密性が高いことも上げられる。香港でははポピュラーな中華粥も、普通の鍋で調理すると四苦八苦する。ダッチオーブンだと米を研がずに多目の水と一緒に火にかければアラ不思議。澄んだ中華粥のできあがりとなる。気密性が高い為余計な灰汁がほとんど出ない。これにザーサイやら腐乳(無い時はブルーチーズで代用〜これ本当にいけます)を添えれば気分は本場の香港粥となる。

私がダッチオーブン(LODGE製)を手にしたのはかなり昔、浅草合羽橋の道具街。最初はまったくの鉄色だったものが、今ではいい具合に油がしみ込みいつの間にか深みを帯びた黒色になっている。物の本によると何十年も使用したダッチオーブンは黒色の中にも風格が出てくると言う。鍋を育てると言うことなのかもしれない。現在販売されているものの中には新品時より油をしみ込ませ、ある程度使いやすくなっているものが販売されている。ただ手間隙かけて鍋を育てるのも大きなお楽しみと解釈したい。
当然友人には、鉄色に輝く生まれたばかりのダッチオーブンを贈るつもりである。

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『ハリーズ・ゲームのテーマ』

2006/02/18 11:15
ある日、
友人からの電話で知った。
開口一番「聞いた?あのCFの曲、やられたね・・・使われちゃった」ときた。
車のCFで数は多くないが、時々TVで流されていると言う。

曲名は『ハリーズ・ゲームのテーマ』(グラナド)
結構思い入れがあった曲である。
出会いはU2の『UNDER A BLOOD RED SKY』(1980年代?)ライブレーザーディスク(古ッ)。
コンサート頭のオープニングに流れていたのを聴いた時だ。
U2のライブにも心ときめいたが、それ以上に記憶の中に残った。

数ヵ月後?その曲が『ハリーズ・ゲームのテーマ』(グラナド)だと知る。
当時エンヤが日本に紹介されはじめたころで、彼女の正体を追い駆けていた(笑)私は、彼女がグラナダに以前在籍していたことを知り訳も無く納得した(笑)
アイリッシュ・ロックをはじめて知り感動した頃の話である。

ネットでその車のCFを見る。
一曲まるごと使っていた。
見終わった後「チェッ!」と舌打ちした。
いまさら「やられた」もないんだけど・・・・(笑)

御覧になりたい方は
http://lexus.jp/feel_lexus/journey/     
GSmovie

妖精のレジェンド〜ベスト・オブ・グラナド
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月別リンク